芳嵐園
芳嵐園は、江戸時代末期に和気神社の外苑として造営された公園で、明治期の教育者・西毅一が、京都の嵐山の風景に似ていることから「芳嵐園」と名付けたとされています. 園内を散策しながら桜を愛でることができます.
和気清麻呂神社は、岡山県和気町にある神社である。和気氏の祖先である鐸石別命の曾孫である弟彦王が、備前・美作に土着し、和気氏は代々この地を治めた。その後裔が、清麻呂公・広虫姫である。和気清麻呂は、奈良時代に天皇の側近として仕え、天皇になりたいと望む僧侶、「道鏡」の出現により危うくなった天皇の立場を守り、命を狙われたり島流しにあったが、名誉を回復し、平安京を建設する際や各地の治水工事での現場監督的な立場で大活躍した。
和気清麻呂神社は、和気清麻呂を祀っている神社であり、祭神は和気清麻呂・和気広虫・和気清麻呂の祖6柱・応神天皇である。旧社格は県社である。拝殿前には全国的にも珍しい狛亥(イノシシ)があり、これは猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされ、以来、猪は清麻呂の守護とされてきたことに由来している。
和気広虫は、奈良時代の女官で、和気清麻呂の姉妹である。孝謙天皇に仕えて信任を得た。孝謙上皇の出家に従って尼となり、法均と号した。また、恵美押勝の乱で捨て子が続出するが、うち83人の子供たちを救い養子にした。
「さざれいし」は、漢字で「細石」と書きます。この立て札には岐阜県春日村の産とあります.石灰石が長い年月をかけて雨水で溶解し、粘着力の強い乳状液が小さな石の隙間に凝結し、ひとつの大きな岩の塊になったもの.
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