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吹屋ふるさと村にあるアジア料理のお店.贔屓にしたくなるようなお店とシェフ.看板によると建物は由緒正しいらしいが垂直は出てない.そこがいいんだけど.

この日のランチはタイカレー(グリーンカレー)でした.ココナッツミルク沢山.

摩利支天の法に由来するとか.「魔法」と名の付く神社仏閣が「魔法宮 火雷神社」「魔法社」「魔法神社」とあり,「きゅうもう狸」という南蛮渡来の化け狸が,曲折の後に牛馬を守る「魔法様」として祭られているらしい.

境内は寂しい感じだが,着色された狸の置物と大学ノート流用の雑記帳?芳名帳?,サイクルイベント用のスタンプがあった.


きゅうもうたぬきは三名狸や日本の狸と違って名前の由来が難しいですね.「きゅうもう」とはなんでしょう.そしてそれがなぜ「魔法」に?摩利支天の法→右手の剣に見立てた2本指で十字を切る→九字を切るのと同じ?→九字(きゅうじ)=九紋(きゅうもん)?→きゅうもう?(遠い!).ピンとこないなぁ.

宝篋印塔は五輪塔とおなじで仏塔の一つ.もともとは宝篋印陀羅尼という経典を納めるための経塔で,供養塔や墓碑塔としては五輪塔が50年以上前に亡くなったかたをお祀りするのに対し,宝篋印塔は100年以上前の方をお祀りする(右繞三匝)ものらしい.

中国からの伝来後日本で独自に発展した塔。相輪,笠(四隅に隅飾),塔身,基礎,基壇からなる.

「矢田の宝篋印塔」

岡山市指定重要文化財(昭和53年1月20日指定).

この宝篋印塔は花崗岩製で、塔の各部がそろって初源のままで存 している。基礎部の背面に「貞治五年(一三六六)四月十三日」の銘が読み とれ、南北朝時代の古塔である。塔身の正面には阿弥陀如来坐像、また右側面には地蔵菩薩立像 がうきぼりされている。 このように塔身の二面に仏像彫刻をほどこして いるものは県下でも珍しい。全長一七三センチメートル、南北朝時代の特色をよく示し、すっきりした姿は美しく、同時代の典型的な宝篋印塔である。(平成26年3月,岡山市教育委員会)

「矢田の」,矢田は何に由来するのだろうね.人名?あるいは別の「矢田」と呼ばれる場所から移動されたもの?ちなみに今ある宝篋印塔は市指定文化財に指定された後県の工事で40メートル移動して現在の位置にあるらしい(矢田の宝篋印塔所在地発掘調査報告).

ワインとジェラート.ジェラートはワイン成分が入っているもののアルコールはないとのこと.

食用のブドウはホルモン処理で種子を抑えるが,ワイン用はむしろ種が大きく皮が厚いほうが良いとか,棚にして育てるのではなく垣柵に育てるとか話を聞いた.

ガスケットやコルクの内山工業の関連会社らしい.薬瓶蓋裏のコルクから現在は車のガスケットがメインらしいが,ワインのコルク栓→ワイナリーなんだそうな.

いつも夕方でちょっとした拝めなかった境内を少し長めに眺めてきました.

明治維新の神仏分離より約200年前に、池田光政による寺院整理で,餘慶寺と豊原北島神社とをはっきり区別していたために廃仏毀釈の難は逃れているとのこと.


いい感じの小径.吉井川の向こうに西大寺観音院が見える.

2023年4月12日にガーデン内グルメコート2の古民家に、お豆富料理のお店「takatsuki(たかつき)」がオープンしたそうなので,行ってみる.

11時過ぎから結構な待ち行列で,藪蚊と闘いながら1時間半待って(予約も出来るらしい)店内に.

岡山にあるピザキングは、和気町にあるオシャレな空間で本格的なピザが食べられるお店です。イケメンなマスターが焼くピザは、絶品と評判です。ピザキングは岡山市で人気のピザ店の一つであり、食べログのランキングTOP20にも入っています。また、岡山県のパスタ・ピザがおすすめのグルメ人気店を紹介するサイトでもピザキングが取り上げられています。

由加神社といえばついつい

岡山に帰国中は児島の由加山の由加神社門前町に壮大な歌舞伎座を新築し、大坂から千両役者訥舛(とつじょう)寿美蔵一座を呼んで、日夜上方芝居に興じた。また、由加山一帯を治外法権の地所とし、花街や賭博を公認したりしたので、由加山は讃岐の金毘羅と並んで遊山の場所として明治期まで栄えた.(城郭と歴史雑学「岡山藩主:池田氏の治世5」https://ameblo.jp/rekisi-shiro/entry-12086610493.html)

を,思い浮かべるが.それはまた別の話.

ここは特に灯篭がきれいに並べてあって,電球も仕込んである様子なので灯りがともったところもみたいと思うが,今日のところはともってなくても日本風のいい感じ(13代目が刀の修行をしてそうな)でした.

芳嵐園は、江戸時代末期に和気神社の外苑として造営された公園で、明治期の教育者・西毅一が、京都の嵐山の風景に似ていることから「芳嵐園」と名付けたとされています. 園内を散策しながら桜を愛でることができます. 

和気清麻呂神社は、岡山県和気町にある神社である。和気氏の祖先である鐸石別命の曾孫である弟彦王が、備前・美作に土着し、和気氏は代々この地を治めた。その後裔が、清麻呂公・広虫姫である。和気清麻呂は、奈良時代に天皇の側近として仕え、天皇になりたいと望む僧侶、「道鏡」の出現により危うくなった天皇の立場を守り、命を狙われたり島流しにあったが、名誉を回復し、平安京を建設する際や各地の治水工事での現場監督的な立場で大活躍した。

 和気清麻呂神社は、和気清麻呂を祀っている神社であり、祭神は和気清麻呂・和気広虫・和気清麻呂の祖6柱・応神天皇である。旧社格は県社である。拝殿前には全国的にも珍しい狛亥(イノシシ)があり、これは猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされ、以来、猪は清麻呂の守護とされてきたことに由来している。

和気広虫は、奈良時代の女官で、和気清麻呂の姉妹である。孝謙天皇に仕えて信任を得た。孝謙上皇の出家に従って尼となり、法均と号した。また、恵美押勝の乱で捨て子が続出するが、うち83人の子供たちを救い養子にした。

「さざれいし」は、漢字で「細石」と書きます。この立て札には岐阜県春日村の産とあります.石灰石が長い年月をかけて雨水で溶解し、粘着力の強い乳状液が小さな石の隙間に凝結し、ひとつの大きな岩の塊になったもの.

旧閑谷学校は、日本の岡山県備前市閑谷にある、庶民のための公立学校であり、世界最古の庶民のための公立学校として知られています。1670年に岡山藩主池田光政によって創建され、現在は特別史跡に指定されており、国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などがあります。2015年には、「近世日本の教育遺産群−学ぶ心・礼節の本源−」として日本遺産第1号に認定されました。

桜綺麗でした.山の中だから庶民の学校と言っても通学するのも大変だよな.

桜がみるみる開いていくので,夕方吉備の中山から吉備津神社へ.

吉備津神社にある桜の木。吉備津神社は、岡山県岡山市に鎮座し、山陽道屈指の大社である。吉備津神社は、吾国唯一の様式にして日本建築の傑作である「吉備津造り」の勇壮な社殿を持ち、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事が行われている。また、桃太郎のモデルとしても親しまれている。

備中宮内は備中国一宮の吉備津神社の門前町。井原西鶴の著した「好色一代女」にも備中宮内として出てくる。江戸末期の備中宮内は、日本でも有数の遊興地の一つとして数えられていた場所である。遊び女にして和歌、歌舞伎、能、茶といった雅なる文化的な生活様式が、日常の生活の一部となって入り込んでいた。和歌を中心とした人々の集まりが、この地方の文化を高めていたと言われている。